交通安全コラム

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地上最高速の争い(18)―米国人の参入(1)―

前回は、蒸気車とガソリン車の内容の比較と、ガソリン車の攻勢と蒸気車の対応を見た。
今回は、最高速記録の争いに登場した米国人バンダービルトの出自と経歴を紹介する。

◆米国人の登場
1902年4月に、セルポレが蒸気自動車で時速75.06マイルの世界記録を達成したが、ガソリン自動車の追撃は激しく、
8月には、ついに、米国人ウイリアム・バンダービルト・ジュニア(図)が、モール車で、世界記録を奪い取ることになる。
ここまでは前回紹介した。
これは、ガソリン自動車が初めて世界記録を達成したことと、初めて米国人が世界記録を手にするという歴史的な出来事で
あった。

バンダービルト 

◆百万長者バンダービルト
バンダービルトは、以前からヨーロッパのスピードイベントの常連だった。蒸気自動車が記録を作る直前に、メルセデス車で、
電気車とまったく同じタイムを出し、「ガソリンがついに電気を捕らえた」と人々を熱狂させたスターである。
彼は、自動車競技に熱中し、米国の自動車技術を向上させようと努力している。ここで、少し寄り道になるが、
彼の経歴を紹介したい。

◆暴走族の元祖
彼は、ニューヨークセントラル鉄道を所有する、米国で著名なバンダービルト家の第二子として1878年にニューヨークで
生まれた。
10歳で、フランス滞在中にモンテカルロ近傍の海岸沿いを蒸気三輪車でドライブしている。
20歳の時のド・ディオン車を初めとして、次々とクルマを購入してニューヨークに送り、父の別荘までの道路を乱暴に
走り回って地域の人々や官憲を激怒させている。

◆バンダービルト杯レース
彼は、ヨットの操縦にも長けレースに参加したが、自動車への興味でヨット熱は冷め、速度記録に挑戦することになる。
記録を達成した1902年には、米国の自動車会社をレースに引き込むため、米国での初の国際レース、バンダービルト杯レースを
開催した。
自国の自動車会社を刺激しようと、ヨーロッパのゴードン・ベネット杯レースのトップドライバーと彼らの最新のクルマを
引き寄せるため、高額の賞金を用意した。
このレースには、米国車が強力なヨーロッパのクルマを打ち負かすのを見ようと大観衆が集まったが、フランスのパナールが
優勝してしまった。彼の期待にもかかわらず、米国車が彼のレースで勝つのは、1908年まで待たなければならなかった。

今回は、最高速記録の争いに登場した米国人バンダービルトの出自と経歴を紹介した。
次回は、バンダービルトがガソリン車で蒸気車を破った記録達成の模様を紹介しよう。

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