交通安全コラム

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地上最高速の争い(14)―蒸気自動車と結婚した男(3)―

前回は、セルポレの蒸気自動車の事業化と、レースへの関わりの端緒を紹介した。
今回は、彼のレースへの挑戦と、蒸気機関の改良と量産車の開発を見ていく。

◆レースへの挑戦
レオン・セルポレはクルマをたくさん売るために、スピードで名を挙げるべく、レースの場で、蒸気自動車でガソリン車に対抗する決意をした。しかし、世界初の自動車レースと言われる1894年のパリ―ルアンの信頼性試験走行会と、翌1895年のパリ―ボルドー長距離レースにエントリーした彼の蒸気自動車(図1)は、ガソリン車に歯が立たずレースから脱落した。

1894年のパリ―ルアンのレースにエントリーしたセルポレの蒸気車

◆灯油バーナー
蒸気が上がるのに時間がかかることも障害ではあったが、ボイラーに適切な量をタイミング良く投入することが求められ、火格子の清掃が頻繁に必要になる燃料のコークスが最大の敗因だった。セルポレは、この解決策として、友人からのアドバイスで、ボイラーの加熱に灯油を使うというアイデアを実用化し、12人乗りのバス(図2)を手始めに適用を進めた。

1902年のバス

◆自動化
彼は、ガソリン車に対抗するためには、蒸気車はできるだけシンプルでなければならないと考えて、そのための努力を続けた。水を過不足なく蒸気化させる灯油量を自動的に供給する、水と灯油の比例供給機構やエンジンの自動潤滑機構の開発、ボイラーの小型化などを行い、次々に開発されるクルマの性能と取扱性、信頼性は向上し、事業は発展していった。

◆蒸気動車
セルポレは、自動車ばかりでなく、蒸気動車(路面鉄道車)の開発も精力的に行っていた。これも好評を博し、フランスの町で広く使われ、英国のマンチェスターにも送られて試運転が行われている。興味深いことに、我が国でも明治32年に、鉄道馬車の代替案として、彼の蒸気動車の試運転が行われたという記録が残されている。
これら、蒸気自動車と蒸気動車での華々しい功績に対して、ナポレオンによって制定されたフランスの栄誉賞であるレジョンドヌール勲章が、1901年に彼に与えられた。

◆短距離での挑戦
蒸気車がガソリン車に歯が立たなかった反省から、今度は短距離での挑戦を試みることにした。手始めに、1900年11月のヒルクライムに灯油バーナーの蒸気車で出場したが、結果は出せなかった。しかし、その走りはセルポレを勇気づけ、翌年再挑戦する決心をして、冬の間に入念な準備をした。

今回は、セルポレの蒸気自動車の改良と、その成果に対する栄誉の受賞を報告した。
次回は、レースでの初めての成功と追い込まれる立場を紹介する。

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