交通安全コラム

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地上最高速の争い(12)―蒸気自動車と結婚した男(1)―

前回は、第一次大戦以降、現在までの速度記録の推移をたどった。
今回からは、時速100キロの壁を破った電気自動車の記録を更新する蒸気自動車の挑戦をたどる。

◆鍛冶屋の息子
フランス人、レオン・セルポレ(図1)は、1858年に、フランスアルプスの麓に近い村の鍛冶屋の息子として生まれ、長ずるに及んで機械に関心を持つようになった。1870年代は、ガソリンエンジンがまだ実用化以前の段階だったので、彼は、蒸気自動車の開発に才能を発揮する場を見いだした。

図1 レオン・セルポレ

◆中古三輪車で蒸気車
18歳の時、蒸気エンジンを作り三輪車に載せたが、これは走らなかった。23歳でパリに出て工房を立ち上げたが、資金が乏しく、スクラップの鉄や木、真鍮で単気筒エンジンを作った。さらに石炭焚きのボイラーを作り、中古の三輪自転車を入手し、エンジンとボイラーを組み付けた。これは1887年に完成した。

◆フラッシュボイラー
彼は、この時、それまでとは異なるボイラーを開発し、蒸気自動車を安全で扱い易いものにした。それは、長尺の細いパイプを丸めて赤熱し、その中に水を押し込む構造で、パイプの他端から即座に過熱蒸気が得られる、フラッシュボイラーと呼ばれる型式である。これには、供給する水量を加減すれば蒸気圧の制御ができることと、ボイラー内に滞留する水量が少ないので、爆発の危険を取り除くことができる、という利点があった。

◆免許証第一号
セルポレの蒸気三輪車(図2)は、当時パリで唯一の自走機械であったため、その試運転は、警察に目を付けられることになった。そのため、彼は、必要な度ごとに書面で申請して走行許可を貰っていたが、度重なる申請に、警察も面倒になって彼に免許証を与えることにした。こうして、セルポレはフランスでの免許所有者第一号となった。

図 2 1887年のセルポレの蒸気三輪車

◆ルノー少年との遭遇
その頃、セルポレの工房の付近を、一人の少年が徘徊していた。その少年は、馬なし馬車が出てくるのを、セルポレの仕事場の出入口に立って辛抱強く待っていた。ある時、セルポレは少年に気づき、「何か欲しいのか」と親切に声を掛けた。少年が「5分間でよいからクルマに乗せてください」と頼むと、即座にその望みは叶えられ、セルポレは少年を隣に乗せて坂を下って行った。この少年こそ、のちにフランス有数の自動車会社となるルノー社を創設したルイ・ルノーの若き日の姿だった。

今回は、蒸気自動車に生涯を捧げた一人のフランス人、レオン・セルポレの若き日を紹介した。
次回は、彼の量産車の開発までを見ていく。

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