交通安全コラム

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空気入りタイヤの歴史―組立式空気入りタイヤ―

前回は、空気入りタイヤに着目したミシェラン兄弟の経歴とエピソードを紹介した。
今回は、兄弟によるタイヤの改良と優勝車を開発したプジョー社の業績を紹介する。

◆組立式タイヤ
ミシェラン兄弟は、チューブを簡単に取り外すことができ、パンク修理が15分でできる組立式のタイヤを考案し(図1)、特許を取った。1891年のパリからブルターニュ半島先端の街ブレストを往復する1200キロに及ぶ長距離自転車レースで、そのタイヤを使った選手が、道端でパンク修理をしたにもかかわらず優勝した。

ミシュランの組立式空気入りタイヤの構造

◆自動車での成功を確信
これがミシュランの組立式空気入りタイヤの素晴らしい宣伝になり、会社大発展のきっかけとなった。当時、自動車は、木製のリムに、鉄板や中実のゴムを巻きつけた、馬車と同構造の車輪を使っていたが、これで彼らは、自動車にも空気入りタイヤが使えることを確信した。

◆プジョー
パリ―ボルドーのレースで、優勝と認められたのはプジョーであった(図2)。プジョーは前年のパリ―ルアンの走行会でも、一着ではなかったが優勝を分かち合っている。このような好成績の背景には、プジョーの長い製造業としての経験があった。

パリ―ボルドーのレースで力走するプジョー

◆水車小屋から四輪車開発へ
彼の家系は、18世紀の水車小屋から始まり、コーヒーひき、剃刀、ミシン、時計部品を経て、自転車・三輪車の製造業へと発展していった。1889年には、蒸気エンジン三輪車を展覧会に出展、さらにルバソールの縁故でダイムラーのガソリンエンジンをライセンス生産し、それを積んだ四輪車を共同開発していた。

◆フランスのエンジンを独占
初期のフランス車のガソリンエンジンは、ほとんどがプジョー生産のものだった。ルバソールの要請でプジョーがガソリン自動車の製造を始めたにもかかわらず、パナール・ルバソール社が先に消滅し、プジョー社は自動車生産を続けている。歴史は皮肉なものである。

◆公道レースとスピードイベント
19世紀末、先行の蒸気自動車、電気自動車と、後発のガソリン自動車の実用性を評価しようと、行われたのが1894年のパリ―ルアンの走行会だった。翌年には距離を延ばして、パリ―ボルドーのレースが行われ、以後、公道を使う長距離レースが盛んになった。同時に、短距離区間で通過時間を競うスピードイベントも頻繁に行われるようになった。

今回は、ミシェラン兄弟によるタイヤの改良と優勝車を開発したプジョー社の業績を紹介した。
次回は、レースのその後の展開とルノー兄弟会社の創設を紹介する。

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