交通安全コラム

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自動車レースの発展(2)―パリ-ボルドー レース―

前回は、次のレースを企画したド・ディオン伯爵と自動車クラブ誕生の経緯を紹介した。
今回は、そのレースの結果を報告する。

◆パリ-ボルドー レース
このレースは、その距離の長さからパリ-ボルドー ラリーと呼ばれることもある。出走は22台で、6台の蒸気車と1台の電気自動車に3台のオートバイ、それ以外はすべてガソリン自動車だった。注目すべきことに、空気入りタイヤを装着したミシェラン兄弟の稲妻号(図1)が、非公式に参加していた。

初めて空気入りタイヤを装着したミシェランの“稲妻号”

◆一着はルールで2位に
レースは、1895年6月にパリ近郊のベルサイユから同時スタートし、48時間48分後、ガソリン車のパナール・ルバソールがトップでゴールに戻ってきた(図2)。しかし、競技規則に合致しないという理由から、優勝は58時間で次にゴールインしたプジョーに与えられた。トップのクルマは、4人乗りの競技規則に反し2人乗りなので、2位とされた。

トップでゴールに戻ってきたパナール・ルバソール車

◆早すぎる到着
排気量1205ccのパナール・ルバソールを運転し、このレースの主導権を握ったエミユ・ルバソールの頑張りを紹介しよう。スタート後しばらくして、水の補給で停車したド・ディオン伯爵の蒸気自動車を追い越し独走態勢に入った。初めの500キロで10台がリタイヤーした。定期的に点検のため停車を繰り返したにもかかわらず、彼は、予想をはるかに超えた早い時刻に、ボルドーに到着してしまった。その時、交代予定のドライバーは眠りに就いたばかりだった。
◆2日間の不眠ドライブ
そこで彼は、レース役員を起こして到着時刻を申告したあと、シャンパンでサンドイッチを食べ、固くなった身体をほごすために散歩をしてから、やむなく自らの運転でパリを目指して帰路に就いた。それは、真夜中の午前2時30分だった。
ルバソールは、結局、往復48時間以上を、睡眠を摂らずに運転を続け、平均時速24.5キロの成績で、トップでパリに戻ってきた。レース後、彼は「パリまであと50キロのあたりで、レストランに寄って豪華な間食をした。それでずいぶん元気になったが、今は少しくたびれた」と語った、と伝えられている。
◆蒸気車の奮闘
蒸気車の唯一の完走は、平均時速10キロで9位のアメデー・ボレーの“ヌーベル(新しいクルマ)”号だった。これは、驚くべきことに重量が3トン近い6人乗りのバスに、トイレと料理台を備えた、名前とは異なる1880年製の古いクルマだった(図3)。

蒸気自動車で唯一完走した“ヌーベル”号

今回は、長距離レースでトップだったが、二人乗り故に2位にされたルバソールの奮闘を紹介した。
次回は、ルバソールの経歴と業績を紹介する。

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