交通安全コラム

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世界初の自動車レース(3)―ダイムラーの勝利―

前回は、「世界初」となった自動車レースの経過と結末を報告した。
今回は、このレースで高く評価されたガソリンエンジンの開発思想を分析する。

◆4着で優勝
パリ―ルアン間126キロの「世界初」となった自動車レースでは、蒸気車が1着で、ガソリン車が2着以下でゴールインしたが、二つのガソリン車がともに優勝とされた。それには次のような事情があった。2着、3着のプジョーと4着、5着のパナール・ルバソールは、ともに同一のパナール製エンジンを使っていた。パナール・ルバソールの優勝は、その技術が評価されたものと考えられる。

◆ダイムラーエンジンの勝利
じつは、その3.5馬力V型2気筒のエンジン(図1)は、ダイムラーのライセンスのもとにフランスで製造されたものであり、これはダイムラーエンジンの華々しい勝利であった。

このレースで好成績を挙げたダイムラーのV型2気筒エンジン

この競技にはベンツ車は出走したのだろうか。ある文献には、ロジェという人物が改造した5馬力のベンツ車が5着になったとある。ベンツ車が出場して完走したことは確かであろうが、多くの文献でその着順についての記述がない。

◆競走に否定的なベンツ
ベンツは競走には否定的で、しばらくの間は、工場からはクルマをレースに出していない。その間、競技に出場したベンツ車は私的なエントリーのみで、それもあまり成功していない。ベンツは、出力向上にはあまり関心がなく、自分のクルマに合わせて最適と信ずる設計をしており、その結果、エンジンが応用・発展しにくいものとなった。

◆エンジンの開発思想
一方、ダイムラーは、優れた性能で扱いやすく発展性のあるエンジンを開発してから、車体を製作した。目覚ましいダイムラーの成功は、このようなエンジンの開発思想の違いからもたらされたものと考えられる。

◆ド・ディオン伯爵
次の年の、さらに距離を延ばしたイベントを企画したのは、トップでゴールインしながら、優勝を逃した蒸気車ド・ディオン-ブートン製造会社の共同経営者であるド・ディオン伯爵だった(図2)。フランスは、ガソリン自動車の開発こそドイツに遅れをとったが、生産と普及ではドイツを凌いだ。彼はそのパイオニアの一人である。彼らは、1882年から蒸気自動車の製造を始め、1890年には高速ガソリンエンジンの特許を申請して5年後に製造を始め、1900年までに400台のクルマと3200台のエンジンを生産している。

ド・ディオン伯爵

今回は、「世界初」の自動車レースで高く評価されたガソリンエンジンの開発思想を分析した。
次回は、ド・ディオン伯爵の業績とフランス自動車クラブ発足の経過を紹介する。

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