交通安全コラム

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世界初の自動車レース(2)―ガソリン自動車の優勝―

前回は、フランスで開催されることになる蒸気、電気、ガソリン自動車の比較信頼性試験の企画を紹介した。
今回は、「世界初の自動車レース」となったその経過と結末を報告する。

◆「世界初の自動車レース」
1894年7月22日に21台の出走で行われたパリ―ルアン間の信頼性試験走行は、途中でクルマを止めて昼食をとることも想定されていた主催者の意図に反し、走り始めると時間での争いになってしまった。そのためこのイベントは、後世になって「世界初の自動車レース」と呼ばれることになる。

◆ダイムラー親子の見物
ダイムラーと息子パウルは、スタート地点の状況を確認し、沿道で走行中の様子を観察し、ゴール地点でも見物していた。のちに、その様子をパウルが次のように書いている。「当日の早朝、出発地点には人々が珍しい見世物であるクルマの行列を見ようと多数集まっていた。クルマは形、形式、サイズが大きく異なっていた。我々はクルマでレースに付き添って走った。」

◆1着は蒸気車
ド・ディオン伯爵の客車を牽引する20馬力の重い蒸気車が1着でゴールインした(図1)。ガソリン車のプジョーが2着(図2)と3着、同じくガソリン車のパナール・ルバソールが4着(図3)と5着だった。1着の平均時速は18.7キロ、2着の平均時速は18.5キロでその差はわずかだった。この速度は自転車による記録よりも遅かったが、自動車の性能と輸送能力を専門家に印象づけた。

1着だったが優勝を逃したドディオン蒸気自動車
2着だったが優勝を分かち合ったプジョーガソリン自動車
4着だったが優勝を分かち合ったパナール・ルバソールガソリン自動車

◆ガソリン車は完走
ガソリン車はすべて完走したが、蒸気車のうち4台は完走できなかった。この結果は、パウルの観戦記からもうかがえるように、蒸気機関が原動機同士の技術競争から脱落するという将来の姿を予告するものだった。

◆優勝はガソリン車
しかし、優勝の栄誉はプジョーとパナール・ルバソールのガソリン車に分かち与えられたのに対し、速度でライバルに優ってはいたが、大型のド・ディオン蒸気車は2位とされ、2000フランの賞金しか与えられなかった。このわかりにくい結果は、次のように考えると納得できる。

◆ボイラーマンで減点
このイベントでは、成績は速度だけではなく、安全性、信頼性、快適性、経済性も含めて、審判団の協議で決定されるため、その大きさ・重量とパウルが書いたようなボイラーマンの重労働が1着の蒸気車にマイナスの評価を与えたものと考えられる。

今回は、「世界初の自動車レース」と呼ばれることになった信頼性試験走行でのガソリン自動車の優勝を報告した。
次回は、このレースで高く評価されたガソリンエンジンの開発思想を分析する。

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