交通安全コラム

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ガソリン自動車第一号(4)―ダイムラーの第一号―

前回は、ベンツのその後の自動車事業の展開と、ライバルの出現を紹介した。
今回は、ライバルの、もう一台のガソリン車第一号開発の経緯を紹介する。

◆もう一人のヒーロー
ベンツの強力なライバルとなるゴットリーブ・ダイムラーは機械に興味を示し、小学校卒業後、鉄砲鍛冶の見習となり二連銃を製作し、日曜日には製図を学び、18歳からスツットガルト工科大学で機械工学を学び卒業する。その後、ドイツの大工場で修行をしたあと英国に渡り、のちにネジの規格を生み出した精密機械工場で経験を積む。1872年38歳で帰国し、世界最大のガスエンジン会社の技術役員となった。

◆会社設立
そこでオットーに協力して4サイクルエンジンを完成して事業を成功させたダイムラーは、かねてから自動車を作りたいと思っていたが、オットーらの経営陣と意見が対立し、技師長マイバッハとともに会社を辞め、1882年に会社を設立して小型高速ガソリンエンジンの開発に専念する。彼は、エンジンを自動車だけではなく、ボート、気球、消防ポンプ、鉄道車両への利用も念頭に置き、軽量化のためにエンジンの高速回転化を目指して開発を続けた。

◆軽量高出力設計
高速回転に対応できない火炎式点火法を捨てて熱管式を改良し、独自の浮子式の気化器を開発し、1884年に“お爺さんの床置き大時計エンジン”の愛称を持つ、単気筒462cc毎分600回転で出力1馬力の空冷エンジンの開発に成功する。これを基に、空冷単気筒212cc毎分600回転で0.5馬力のエンジンを完成し、これを二輪車に搭載した(図1)。
これは骨組こそ木製であったが、エンジンを車輪の中間の座席の下に置く現在の二輪車に通ずる合理的なレイアウトである。1885年にマイバッハがこれで3キロ走行し、時速12キロの最高速を記録した。

ダイムラーの世界初のオートバイ 

◆夫人の誕生祝
続いてダイムラーは、大時計エンジンを改良し、毎分680回転で1.1馬力のエンジンを四輪車に搭載した。改造して使用する馬車は「ダイムラー夫人への誕生日のプレゼント」と称して、密かに業者から購入されたと言われている。このクルマは1886年の秋に最初の走行が行われ、翌年にはエンジンが水冷に変更されている(図2)。
このクルマの前輪は車軸全体で向きを変える、いわゆるターンテーブル型の操舵機構で馬車の名残をとどめてはいるが、最高速度は時速16キロで完成度も高く、ベンツの三輪車と並んで世界初のガソリン自動車の名誉を獲得した。

ダイムイラーのガソリン自動車第一号

今回は、ダイムラーの、もう一台のガソリン自動車第一号誕生の経緯を紹介した。
次回は、彼のエンジン技術を紹介し、事業の発展を解説する。

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