交通安全コラム

交通安全コラム

ガソリン自動車第一号(3)―ベンツの事業展開―

前回は、一号ベンツ車での夫人と息子たちの冒険旅行を紹介した。
今回は、ベンツのその後の事業展開と、強力なライバルの出現に触れる。

◆特許自動車
ベンツはクルマに改良を加え“特許自動車”と銘打って販売を始める。しかし、事業は思うようには進まない。ベンツの据付型エンジンの性能に満足していたフランスの自転車製造業者に販売権を売ることができたが、1889年のパリ万博出品にもかかわらず、売上は伸びなかった。このような状況から、自動車の将来に疑問を持った二人の共同経営者は会社を去った。

◆二人の有能なビジネスマン
会社は共同経営者の抵当に入ったままだったが、ベンツは、代わりとなる二人の有能なビジネスマンを探し出し、これで技術開発に専念できるようになった。三人の努力で状況は徐々に好転し、据付型エンジンの収入を基に新工場を建設するまでになった。
ベンツは、三輪車に代わる四輪車の開発を行い、性能向上のため2気筒3.5馬力のエンジンも開発し、1893年には5馬力エンジンの高級車“ビクトリア”(図1)、翌年には1.5馬力エンジンの普及型“ベロ”を発売する(図2)。

ベンツの高級車“ビクトリア”(1893) 
ベンツの普及型“ベロ”(1894)

◆世界最大の自動車会社
ベロは、世界初の量産自動車と言えるもので、1894年から1901年までに1200台が販売され、事業は、1899年には年間572台を販売する世界最大の自動車会社に成長した。1895年には、トラックも生産するようになり、その一部が改造されて史上初となるバスにもなった。

◆信念にこだわる
ベンツのクルマは、1894年の史上初の自動車レースに出場しているが、彼はレースには批判的で、スピードよりも品質や信頼性を重視し、性能は現状で十分であるとの信念を持ち、完成度を高めることにこだわっていた。しかし、購買層である上流クラスの人たちはレースの成績を評価してクルマを買う傾向があり、かたくななベンツの姿勢から、性能を向上してくるライバルとの競争で、折から需要が拡大し始めた自動車市場で劣勢になっていった。

◆強力なライバル
ベンツの強力なライバルとなったのは、10歳年上の同じドイツ人で、パン屋の息子として生まれ、世の中の蒸気エンジンを4サイクルエンジンで置き換えようと努力中のニコラス・オットーの招きで、世界最大のガスエンジン会社の技術役員となったゴットリーブ・ダイムラーである。

今回は、ベンツのその後の自動車事業の展開と、もう一台のガソリン車第一号を開発するライバルの出現を紹介した。
次回は、もう一台のガソリン自動車第一号誕生の経緯とそのクルマを解説する。

<前の画面へ戻る

Page Top