交通安全コラム

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ガソリン自動車第一号(2)―はじめてのツーリング―

前回は、一号ベンツ車の公道走行と世間の評判、仕上げまでの夫人の内助を紹介した。
今回は、このクルマでの世界初のツーリングとなる夫人と息子たちの冒険旅行を紹介する。

◆ベルタ夫人の大冒険
ベルタ夫人は1888年の夏に、夫に無断で15歳と13歳の息子と、親戚までの往復180キロの長距離ドライブを敢行した。夫人は息子たちの提案に同意し、汽車で旅行すると口実を作り、夫が寝ている早朝に長男の運転でマンハイムを出発した。ハイデルベルグの先までは道が平坦で順調だったが、クルマは上り坂を想定して作られていなかったため、その先の坂では彼女と次男が降りてクルマを押さなければならなくなった。

◆故障に次ぐ故障
下り坂でブレーキの革がすり減るので、途中何度も靴屋で革を買って取り替えた。チエンがのびて鍛冶屋で修理し、燃料パイプが詰まると夫人の帽子のピンでゴミを取り除いた。点火装置も故障したが、彼女は絶縁材のために靴下止めを犠牲にした、と伝えられている。

◆燃料は洗浄剤
当時、ガソリンは洗浄剤として使われていたので、薬屋で少量ずつしか入手できなかった。彼らは薬屋の所在を事前に確認しておいて補給を続けた(図1)。その際には、例によって村人の好奇心の対象となり、夫人は魔女扱いされたこともあった。最後の難所のシュバルツバルトの急勾配では、数時間も押し続けたが、峠から目的地プフォルツハイムまでは猛スピードで下った。

 ベルタ・ベンツ夫人と息子達が薬屋でガソリンを買っている情景

◆世界初のツーリング
そこから夫人は無事到着の電報を打ったが、ベンツは気を悪くせず、帰路のためのチエンを送って応援したので、彼女はこの冒険をめでたく締めくくることができた。
この自動車による長距離旅行で、ベルタ夫人は世界初のモーターツーリストと認められ、ドイツでは、その快挙を記念して、毎年アンティックカーによるラリーが行われている(図2)。

ベルタ・ベンツ夫人の快挙を記念するラリーコース

◆ゴールドメダル獲得
この世界初の長距離ツーリングは反発も招き、その行動を規制する法律が作られ、警音器の備え付けが義務付けられた。しかし、同1888年、ミュンヘンの博覧会に出品した際は、新聞社の支援もあり、事故時の損害賠償の条件を受け入れることでデモ走行が実現した。それは大成功で、1リットルのガソリンで1時間走れるという性能がインパクトを与え、主催者からゴールドメダルを授与されるという快挙があった。

今回は、世界初のツーリングとなる一号ベンツ車での夫人と息子たちの冒険旅行を紹介した。
次回は、ベンツのその後の自動車事業の展開を概観する。

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