交通安全コラム

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自動車誕生前史(12)―赤旗法時代の米仏での蒸気車の動向―

前回は、赤旗法時代に多目的動力車へと向かう、英米での蒸気車の開発動向を紹介した。今回は、米国での蒸気車の動向に触れたあと、フランスでの蒸気車事情を紹介する。

◆遅れた米国での蒸気車の活躍
当時農業国であった米国では、広大な土地に村落が広く分散しており、道も悪く、蒸気車の活躍は、英国とは比較にならなかったが、幾つかの蒸気乗合自動車も開発されていた。驚くべきことに、1878年7月に蒸気車のレースがウィスコンシン州で開催されている。

◆世界初の自動車?レース
これは、馬に代る安くてより優れた代替手段の開発を促進する目的で、州議会から提供された10,000ドルの賞金をもとに開催されたもので、二つの町の往復320キロを走るレースであった。異形の蒸気車が自動車の分類に入ることが認められるなら、これは、まさしく世界初の自動車レースで、米国が歴史的なイベントの初の開催国ということになる。

◆フランスの蒸気車事情
フランスでは、英国とは状況がまったく異なり、1861年には蒸気車の一般道路での運行が公認され、その結果、1870年から1880年にかけて、かなりの技術進歩が観察された。
釣鐘鋳造師で発明家を父に持つアメデ・ボレは、1873年から一連の蒸気自動車を開発した。

◆最高速60キロへ
彼のオベイサント号(図1)は最高時速40キロの12人乗りで、1875年、初めてのドライブで、彼の工場の所在地であるル・マンからパリまでの約200キロを18時間で走破した。  
彼は引き続いて、マンセル号、マリー・アン号、最高時速60キロのラピッド号を次々に開発する。マンセル号は、1878年に設計され、総計50台生産され、初の量産自動車と見なされている。

ボレのオベイサント号

◆近代的なレイアウト
ボレのクルマは、すべてに、ボイラーは客席後部に置くが、エンジンは客席の前に置き、回転をシャフトで差動装置に導き、チエンで後輪を駆動し、ドライバーをエンジンの後に座らせ、垂直の軸に付けたハンドルで操縦させる、という共通のレイアウトが採用されている(図2)。これは、当時の一般の蒸気車とは異なり、現在の自動車に通ずる、合理的なレイアウトである。

ボレのマンセル号の構造

◆内燃式エンジンの実用化
この赤旗法時代になって、苦難の道をたどってきた内燃式エンジンのアイデアが、鉄道で熟成が進んだ蒸気機関の機構を借用し、当時の先進技術である電気を利用して、やっと実用的なエンジンにたどり着いた。

今回は、赤旗法時代の、米国での蒸気車の動向と、フランスでの蒸気車事情を紹介した。
次回からは、内燃式エンジンの開発の歴史を見ていく。

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