交通安全コラム

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自動車誕生前史(10)―英国での蒸気車の発展と衰退(3)―

前回は、英国での先駆者の苦闘と同時代の他の開発者の成果を紹介した。
今回は、その後の蒸気自動車の進化と衰退をもたらす赤旗法を紹介する。

◆エンタープライズ号とオートマトン号
1833年にウォルター・ハンコックは、「エンタープライズ」号を開発し、「ロンドン&パディントン蒸気乗合自動車会社」と協同で定期運行を始める(図1)。エンタープライズは革新的な設計がなされていた。蒸気エンジンは板バネで車体から吊るされており、車輪はスイングアームで支持され、ボイラーへ空気を送る遠心式送風機を後車軸で回転する機構も備えられていた。
会社とのもめごとで協同事業は中止となるが、1840年まで彼は独力で運行を続けた。この間、1836年には、22人乗りの「オートマトン」号を開発し、ロンドン市内で700回以上運行し、時速30キロを超える速さで、1万2千人を運んだと言われている(図2)。

ハンコックのエンタープライズ号
ハンコックのオートマトン号

◆3名のオペレーター
これらの蒸気乗合自動車を走らせるには、3名のオペレーターを必要とした。ドライバーは先端に座り、ハンドルの操作とレギュレーターを操作して車速を調整した。他の1名は、客室後部のボイラーとエンジンの間に居て、ボイラーの水位の維持とバックする際の歯車の切換えを担当した。残る1名は、後部のデッキに乗って、ボイラーの缶焚きと、長いレバーで後輪を押さえてブレーキを掛ける役割を担った。

◆赤旗法
有料道路法は、ハンコックの事業も失速させ、その後、彼は小型蒸気エンジンを鉄道用に供給する事業を細々と続けた。蒸気自動車に対する攻撃はさらにエスカレートする。1861年に、蒸気自動車の重量を12トン以下に制限し、運行速度は、郊外で時速16キロ、市街地で時速8キロ以下とする法律が制定される。さらに、1865年には規制が強化され、運行速度が、郊外で時速6キロ、市街地で時速3キロ以下と、厳しさを増し、加えて、クルマの55m前で赤旗を振って、通行人に警告を与えることが義務付けられた。これが、悪名高い赤旗法である。

◆蒸気牽引車へ
赤旗法は1878年に一部緩和されるが、完全に廃止されるのは1896年である。このため、英国での蒸気自動車の進歩は止まる。蒸気エンジンは定置作業を主目的とし、移動能力を従にした、さまざまな「蒸気牽引車(スチーム・トラクション)」に活路を見出す。
内燃エンジン開発の胎動が始まるのはこの時期である。

今回は、英国での蒸気自動車の発展とそれを阻止する赤旗法の制定を紹介した。
次回は、赤旗法施行以降の蒸気車とその周辺の動向をたどって行く予定である。

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