交通安全コラム

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自動車誕生前史(9)―英国での蒸気車の発展と衰退(2)―

前回は、英国での蒸気自動車最盛期の蒸気車の状況と先駆者の苦難を紹介した。
今回は、同時代の英国での他の開発者の奮闘を紹介する。

◆有料道路法
1831年に成立させた有料道路法自体は、交通量が増加して路面の整備と維持に多額の費用が必要になったためで、必ずしも不当なものではなかった。しかし、その内容は、馬に代る蒸気エンジンの出現で、既得権益が脅かされると考えた馬車輸送事業者らが、蒸気自動車には馬車の20倍もの通行料を課す、極めて不公平なものであった。

◆ガーニーの倒産
この妨害工作と、ボイラーの爆発事故が知れ渡ったことで、1832年に事業は行き詰まり、ゴールズワースィ・ガーニーは倒産する。しかし、彼は、石油ランプの芯の中心に酸素を吹き込む、輝度の高い照明装置「ブードライト」を開発し、さらに、シリンダーから排出される蒸気を煙突に導いて開放する「ブラストパイプ」を鉱山に応用する事業を行う。

◆ナイトの爵位
蒸気機関車で広く使われてきたこのブラストパイプは、その勢いで換気を促進して燃焼効率を高めることで、ボイラーの小型化に不可欠な技術である。この業績で、ガーニーはビクトリア女王から騎士(ナイト)の位を授けられ、サー(卿)の称号を付けて呼ばれている。

◆発明家ハンコック
この時代に、優れた蒸気自動車を開発した人物には、ゴム練機の発明を行い、ゴムの性能を飛躍的に改善した加硫技術の発見にも関係したと考えられている発明家を父とし、自身も、ゴムのシート化の特許を取ったウォルター・ハンコックもいる。

◆安全ボイラーと小型乗合自動車
1824年以降、彼は、ロンドンで4人乗りの蒸気三輪車をはじめ、幾つかの蒸気自動車を開発し、割れることで激しい爆発を防ぐ安全ボイラーの特許も取得している。1829年には、10人乗りの小型乗合自動車「インファント(初心者)」号(図1)を開発し、ロンドン市内で定期運行を開始する。

ハンコックのインファント号

◆ブライトン便
このクルマは、のちにロンドンと南部海岸のリゾート地ブライトンを結ぶ運行で収益を挙げて有名になる。馬車では、加勢の馬を繋いで何とか登ることができた凍結した5度勾配の坂を、インファントは、難なく登って優れた性能を示した。しかし、運転手が、さらに性能を上げようと、蒸気圧を高めるため安全弁を不作動にしたため、ボイラーが爆発し、このクルマは失われてしまった(図2)。

5人が死亡したラッセルの蒸気バスの事故(1834)

今回は、英国での先駆者の苦闘と同時代の他の開発者の成果を紹介した。
次回は、その後の蒸気自動車の状況とその終焉を紹介する。 

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