交通安全コラム

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自動車誕生前史(8)―英国での蒸気車の発展と衰退(1)―

前回は、フランス、英国に続いて米国での蒸気車出現当時の状況を紹介した。
今回は、英国で目覚ましく発展する蒸気車の最盛期のクルマとその開発者を紹介しよう。

◆トレビシックの影響を受けたタレント
最盛期に蒸気自動車を開発した人物の一人は、ゴールズワースィ・ガーニーである。彼は、由緒ある家系に生まれ、外科医でありながら、化学者、講師、建築家、コンサルタントとして成果を挙げ、ピアノを自作して演奏するなど、多彩な才能を持ち、英国紳士科学者の原型であると言われている。

◆蒸気乗合自動車会社設立
彼は、トレビシックの蒸気車を見て強い影響を受けた。外科医を開業しながら、蒸気力の移動機械への応用に関する論文を書いたのち、馬なし馬車の特許をとり、1825年に蒸気自動車の開発を始めた。「ガーニー蒸気乗合自動車会社」を設立し、ロンドン近郊で時速30キロ以上の速度で試験走行を繰返した。

◆平均時速20キロ以上
1829年には、クルマは、ロンドンから保養地のバースまでの約160キロの往復ができるほど、造りは確かで性能も優れたものとなった(図1)。給水と燃料補給の時間も入れて、平均時速20キロ以上を記録している。故障はほとんどなかったが、石を投げられて缶焚き人が負傷したことがあった。蒸気車への嫌がらせである。そのため、護衛を付けなければならなかったと伝えられている

ガーニーの最初の蒸気乗合自動車(1827)

◆苦心の牽引車の爆発
しかし、この蒸気乗合自動車事業は成功ではなかった。危険なボイラーとの同乗に人々が不安を感じると考え、ガーニーは、“スチーム・ドラッグ(蒸気牽引車)”と呼ばれるクルマを開発した。機関車が客車を牽引するクルマである(図2)。その1台が海路グラスゴーへ出荷されたが途中で損傷し、彼は、壊れたクルマに手をつけないようにと念を押して、代りのクルマを出荷するためにロンドンに戻る。しかし、ボイラーに火が入れられて、爆発を起こし2人が死亡する

ガーニーの蒸気牽引車

◆重なる不運
この牽引車3台で、英国南部の約10キロ離れた二つの町を結ぶ1日4回の定期運行がしばらく行われた。しかし、ガーニーとこの事業のパートナーの熱意は、無残に打ち砕かれることになる。馬に代る蒸気エンジンの出現で、既得権益が脅かされると考えた馬車輸送事業の経営者が、地方有力者、地域行政官たちと議会に働きかけて、1831年に有料道路法案を成立させてしまう。

今回は、英国での蒸気自動車最盛期の蒸気車の状況と先駆者の苦難を紹介した。
次回は、同時代の英国での他の開発者の奮闘を紹介する。 

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