交通安全コラム

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第202回 地上最高速の争い(36)―時速100マイルをめぐる争い(1)―

前回は、米国の新しい舞台と、欧州に戻り時速100マイルに迫る新記録までを解説した。
今回は、その記録を破って時速100マイルに肉薄するベルギーの男爵の奮闘とその後の彼の姿を紹介する。

◆リゴリイの教訓
フランス人ルイ・リゴリイが、フランスのクルマ、ゴブロン・ブリリィで達成した時速94.78マイルの世界記録は、わずか2カ月後に、ベルギーの男爵、ピエール・カタール(図1)によって奪い取られることになる。

ベルギーの男爵、ピエール・カタール

カタールは、バンダービルトがフォードの記録を破ったものと同じ90馬力メルセデス車(図2)で、リゴリイの記録に挑戦することを考えた。リゴリイが、助走距離を長く取ることで新記録樹立に成功したことを知って、彼は、自分のクルマでも同様に走れば記録を破れると判断し、それが可能なコースを近くで探した。その結果、ベルギー人アーサー・デユレイが、前年、ゴブロン・ブリリィでモールの記録を破って時速83.47マイルの新記録を作ったオステンドの新しい道路が最適であることを発見した。

カタールと 90馬力 メルセデス・シンプレックス

◆時速100マイルの壁
男爵のリゴリイ打倒の試みは、最初は失敗に終わったが、彼は辛抱強く、諦めなかった。1904年5月25日の二度目の試みで、彼は1キロ区間のタイムを23秒に短縮し、時速97.25マイルの新記録を樹立した。
5年前には、人々の関心が時速100キロの壁にあったように、今回は、時速100マイル(160.9キロ)を誰が最初に超えるかという話題が、モータースポーツの世界を興奮させていた。男爵は、この目標を達成することには失敗した。予期しない男爵の挑戦を受けたが、この目標をやり遂げようと決心していたゴブロン社には、依然としてチャンスが残されている。

◆多彩な冒険家
 カタール男爵は、自動車による速度の世界記録リストには、二度とふたたび名前が載ることはないが、この年、その後約10年に亘る彼のレース活動の最初の勝利を、フランスのグランプリレースで収めている。
 彼は、地上より空での活躍が有名で、1909年に、ベルギー初の飛行をボアザン機で行っている。彼は、飛行機製造をベルギーで最初に行い、ベルギー航空隊の最初の指導員にもなり、第一次大戦ではベルギー航空隊飛行学校の指揮官を務め、モーターボートレースにも参加するなど、多彩な冒険家だった。

今回は、カタール男爵の時速100マイルに肉薄するリゴリイの記録への挑戦と、男爵のその後を紹介した。
次回は、時速100マイルを超え、男爵への報復を企てるゴブロン社と、同じフランスで、知名度を高めるために自動車競技を利用することを考えた、ダラック社の動きを紹介する。

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