交通安全コラム

交通安全コラム

第200回 最高速の争い(34)―T型フォードの盛衰―

前回は、自動車の発展の大きな推進力となったT型フォードの開発思想と生産技術を紹介した。
今回は、T型フォードの盛衰を振り返り、速度記録の歴史に戻る。

◆850ドルから260ドルへ
シンプルな設計に、部品に互換性を与えるなどの効果で、1908年発売当初のT型フォードの売値は850ドルであった。当時の平均年収は約600ドルだったので、ミドル階級には十分手が届く値段だった。売上台数の増加で価格はさらに下がり、1914年のコンベヤーライン導入で低下に拍車がかかり、1917年には360ドルと、当初の半額以下となり、1926年には260ドルまで下落した。生産台数は、1909年には約1万台だったが、最盛期の1923年には200万台を超え、アメリカで走るクルマの2/3、世界中の自動車の半数がT型フォードだったと言われている。

◆アメリカを車輪に乗せた
T型フォードによって自動車が急速に普及し、それが高速道路網の構築を促進してアメリカ人のライフスタイルを変革した。そのため、T型フォードは「アメリカを車輪に乗せたクルマ」と呼ばれた。しかし、大きな変更なく同一モデルを長年造り続けたため、次第に魅力を失い、自動車市場が熟成するにつれて、モデルチェンジを繰り返すジェネラル・モータースの目新しいクルマに市場を奪われてしまう。それでも、その役割をA型に譲る1927年までに15,007,034台を生産してベストセラーとなり、世界各地で組み立てられ、初のワールドカーにもなった。

◆新しい舞台
寄り道がかなり長くなったが、ここで本題の速度記録に戻ろう。
デトロイトの凍結した湖で命を懸けて獲得したフォードの記録、時速91.37マイルは、2週間ほどのちの1904年1月27日に、同じ米国人の大富豪ウイリアム・バンダービルト・ジュニアによって、90馬力メルセデス車(図1)で、時速92.30マイルに更新された。この記録が樹立されたのは、米国フロリダのオーモンド・デイトナ海岸での第3回スピード・トーナメントであった。そこでは、フォードが、自分の記録がもぎ取られるのを、なすすべもなく眺めていた。このフロリダの新しい舞台では、その後1935年までに14の公認世界記録が生まれることになる。

オーモンド・デイトナ海岸でフォードの記録を破った     バンダービルトの90馬力メルセデス

◆ゴブロン・ブリリィの挑戦
第3回スピード・トーナメントでは、フォードの“999”を運転して彼にとって初めてのレースで優勝した、あのバーニー・オールドフィールドが“ウィントン弾丸3”号(図2)を駆ってバンダービルトの記録を破るべく、翌日とその翌日も挑戦した。しかし、大富豪の記録を破ることはできなかった。

水平4気筒エンジン2台を直列にした8気筒80馬力の 弾丸2号の4気筒を使った軽量カテゴリーの競争車

今回は、T型フォードの盛衰を振り返ってから、速度記録の歴史に戻った。

第201回は、舞台をヨーロッパに戻し、大富豪の記録への挑戦を紹介する。

<前の画面へ戻る

Page Top