交通安全コラム

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地上最高速の争い(29)―自動車史上の巨人の登場(4)―

前回は、競輪選手から依頼されたレーシングカーの設計と最初のレースをお伝えした。
今回は、3度目の会社で開発された高価格車の販売不振で招く危機とその対策をお伝えする。

◆3度目の会社
新車の初舞台となった5マイル製造者挑戦杯レースの優勝で、ふたたび支援者が現れ、“フォード・モーター・カンパニー”が設立される。
共同経営者たちは、利益の上がる金持ちのためのクルマを作ることを主張し、800ドルのC型、1000ドルのF型に加えて、2000ドル以上で売る高価格車のB型(図1)、の3モデルを開発することを決定した。

B型 フォード

◆財政危機
農家に育ち、作業のための移動の難儀を知っていたフォードは、多くの人が自動車を持てるように、クルマは安価でなければならず、500ドル程度の売値が望ましいと考えでいたので、2000ドルの高価格車には断固反対した。しかし、B型車の開発は行われ、巨額の資金が投入されたので、会社の財政が危機に瀕してしまった。

◆記録挑戦を決意
速度こそがクルマを売れるものにする要因だ、との確信をさらに深めていたフォードは、B型につぎ込んだ資金を取り戻して会社を立て直すため、速度記録に挑戦することを決意した。手元にある999号は、そのエンジンが高価格車B型と同じ4気筒であるから、速度記録を樹立すれば、B型の優秀性を正当に主張できる、とフォードは考えた。

◆氷上のコース
1904年、新年早々の厳寒のデトロイトで、隣接したセント・クレア湖のアンカー湾の凍結した氷上に4マイルの走行コースが準備された(図2)。この仕事は非常に手間がかかった。土地の農夫が念入りに雪掻きを行い、近くの発電所から石炭殻を持ってきて播いた。
フォードの狙いは、対向ピストン車ゴブロン・ブリリィを駆ってデュレイが記録した時速84.73マイルの世界記録を上回ることだった。

凍結したセント・クレア湖

◆小手調べの走行
1月9日の土曜日に、夫人と10歳の息子エドセルが見守る中で、フォードが氷上の試験走行を行った。彼は、999号の製作を助けたメカニックの中からハフを同乗者に選んだ。
午後2時にスタートし、1マイルを36秒で通過した(時速100マイル)。もちろん、このタイムは公認にはならないが、フォードは、デュレイの世界記録を破ることができることを確信し、その前祝いに、夫人とエドセル、ハフをはじめメカニック達のために、ホテルで夕食会を催した。

今回は、新会社での高価格車の販売不振を挽回するための、速度記録への小手調べまでを紹介した。
次回は、悪化した走行環境下で決行された本番走行でのフォードの苦闘を紹介したい。

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