交通安全コラム

交通安全コラム

地上最高速の争い(25)―英国人の不屈の挑戦(5)―

前回は、チャールズ・ロールスのパートナーとなる、もう一人の偉大な英国人ヘンリー・ロイスを紹介した。
今回は、のちに英国の誇りとなる高品質のクルマ誕生のきっかけとなる、この二人の出会いとロールスを襲った悲劇をお伝えする。

◆ロールス・ロイスの誕生
ヘンリー・ロイスとチャールズ・ロールスとの歴史的な対面は、マンチェスターのホテルで行われた。それまで3気筒・4気筒エンジンを好んでいたロールスではあったが、ロイスの開発した10馬力車、“ロイス10” (図1)に試乗して、2気筒ではあるが、その静粛さと滑らかさに魅了された。ロールスは、その高品質の仕上がりに狂喜し「英国でこんな良いクルマが出来たのか」と感激して、ロイスの作るすべてクルマの販売を引き受けるという契約を結んだ。これがロールス・ロイス社の始まりで、以降、クルマの名称は“ロールス・ロイス”となる。

5角形のラジエーターグリルのデザインは現在まで続いている。

◆飛行家ロールス
ロールスは空にも関心を示し、自動車の販売を始める数年前に、飛行クラブの設立に尽力している。気球による飛行を長らく楽しんでいたが、1906年に、ニューヨーク自動車ショウにロールス・ロイスを出展した際にライト兄弟と会い、興味は動力飛行に移っていった。彼は、王立飛行クラブから英国で2番目の飛行機操縦の免許状を取得している。

◆新記録達成
ロールスは、1910年4月にライセンス生産されたフランス製のライト機を購入した。ロールス・ロイス社は、ロールスの動力飛行への興味に理解を示し、会社での責務を軽減した。そのおかげで、同年6月2日、ロールスは、初の無着陸往復の英仏海峡横断記録を樹立するが、その喜びは長くは続かなかった

◆墜落死
そのわずか40日後の7月12日、ライト兄弟の承認なしに追加された尾翼が飛行中に壊れて墜落し(図2)、ロールスは、32歳の若さで英国初の飛行機事故死亡者となってしまった。
彼は英国のための速度記録公認獲得に3度失敗した。しかし、その努力は、あとになって、ロールス・ロイス社製のエンジンを搭載した速度記録車が、次々と栄光ある公認記録を祖国にもたらすことで、報われることになる。

ロンドン南の臨海リゾート地ボーンマスの

今回は、のちに英国の誇りとなる高品質のクルマ“ロールス・ロイス”誕生のきっかけとなる二人の出会いと悲劇をお伝えした。
次回は、舞台を、英国から大西洋を越えて米国に移し、自動車史上の巨人、ヘンリー・フォードの生い立ちと、速度記録挑戦のきっかけとなる自動車ビジネスへの参入の経過を紹介する。

<前の画面へ戻る

Page Top