交通安全コラム

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地上最高速の争い(20)―記録は再びフランスへ―

前回は、バンダービルトがガソリン車で蒸気車を破った記録達成の模様を紹介した。
今回は、二人のフランス人がモール車で記録を更新する経過とモール社の沿革を紹介する。

◆新走行路の走り初め
公道での悪影響を避ける新コースでのレースが11月5日に行われ、バンダービルト同様モール車を駆ったフランス人のアンリ・フルニエが、1キロ区間の記録を僅差の0.2秒短縮する29.2秒で、時速76.56マイルの新記録を樹立した。「モール車は、時々泥で車輪が滑って今にも道路から飛び出しそうに尻を振ったので、この記録は、高速走行で必要になるドライバーの優れた技量と強い精神力の証明である」と当時の記事は称賛している。

◆上昇幅時速2.07マイル
しかし、フルニエもこの記録を長くは維持することはできなかった。わずか12日後の11月17日に、同じフランス人のオージェール(図)が、やはりモール車で、同じコースの1キロ区間タイムを0.2秒短縮する時速77.13マイルで記録を奪った。

モール車上のオージェール

蒸気自動車で始まり、3人のドライバーによるガソリン車モールでのバトンリレーで、1902年の新記録合戦の舞台は幕を閉じたが、記録の上昇幅は、わずか時速2.07マイルに過ぎなかった。

◆モール社 
突如舞台に現れ、メルセデス車を寄せつけずに、僅差ではあるが3度の世界記録達成を可能にしたクルマを開発したモール社の前身は、1851年創業のパリの、茎に針金の芯を使う造花の工場で、その技術が絶縁電線の製造に転用されていた。それを1874年に、ルイ・モールが買収し、パリの名門工科大学卒業の息子2人が、電気部品の分野に事業を拡大し、電気自動車も製造していた。

◆先進の電気点火
兄弟は、1892年にパナール―ルバソール車を買い入れ、4年後にガソリン自動車の生産を開始した。多くのフランス車が熱管式点火だった当時、モールが電気点火を採用した。1897年のV型4気筒のリヤエンジン車は成功し、1899年に、主任技師としてアンリ・ブラジエを雇い、直立エンジン付きのクルマで大成功する。

◆シトロエンが買収
社運の頂点は1903年のパリ―マドリッドレース優勝である。その宣伝効果で注文が殺到したが、生産を増やせなかった。完全主義の設計と杜撰な会社経営が大きな損失をもたらし、赤字が増大し続ける。1908年に会長にアンドレ・シトロエンを迎えて一旦は業績が回復するが、結局、1925年にシトロエン社傘下に組み入れられて、名前は消滅した。

今回は、モール車による二度の記録更新の経過とモール社の沿革を紹介した。
次回は、愛国心旺盛な英国人の登場と、その記録挑戦への努力を紹介しよう。

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